引き裂かれた姉弟愛…。飛鳥時代に生きた姉・大伯皇女と弟・大津皇子の悲劇 【その1】

高野晃彰

わずか24歳という若さで、謀反の罪により自決した悲劇の貴公子・大津皇子(おおつのみこ)

飛鳥時代、文武両道で容姿に優れ自由奔放な性格から多くの人々から信望を集めた人物です。けれども、将来を嘱望されていたにもかかわらず、皇位継承問題に巻き込まれ謀反のかどで捉われの身となり、自死に追い込まれてしまいました。

幼い頃から弟・大津皇子と寄り添い合うように育った姉・大伯皇女(おおくのひめみこ)は、その死を悲しみ、生涯を弟の魂を弔うことに捧げたと伝わります。

万葉集に伝わる二人の和歌も絡めながら、二人の悲劇を紹介しましょう。

弟・大津皇子のプロフィール

弟・大津皇子は、天武天皇[大海人皇子(おおあまのみこ)]を父とし、大田皇女を母として663年に誕生しました。

大田皇女は、後に大津皇子に死を賜る持統天皇[鵜野皇女(うののひめみこ)]の実の姉にあたります。

とても優秀な人物だった弟・大津皇子

大津皇子の人物像については、『懐風藻(かいふうそう)』によると「容姿端麗、筋骨隆々、学問優秀、性格寛大にして自由奔放、武芸百般」と、これ以上ない優秀な人物と褒めたたえています。

皇子の死後約30年後に成立した『日本書紀』にも同様なことが書かれていますので、あながち大げさな表現とはいえないでしょう。

しかしながら、それよりも30年後に成立した『懐風藻』や『万葉集』における大津讃辞は、悲劇的な最期を遂げた大津皇子に対して人々の想いが、少なからず反映されているのでは? と思われます。

4ページ目 優秀がゆえに謀反の罪をきせられた?

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