「はい、ご予約承りました。ところでツカダ(塚田)様の漢字はどのように……」
神奈川県民が電話口でこう訊かれた時、塚の字をどう答えるかによって住んでいる地域が大ざっぱに判ることがあったりなかったりします。
「戸塚(とつか)の塚」と答えた場合、その神奈川県は約60%の確率で相模(さがみ)川より東に住んでいる可能性があります。
一方で「平塚(ひらつか)の塚」と答えた場合、その神奈川県は約70%の確率で相模川より西に住んでいるかも知れません。
(※相模川は神奈川県のほぼ中央を縦断し、県土を東西に分ける一級河川です)
ところで、塚と言えばお墓のことですが、平塚の塚って誰のお墓で、どこにあるのでしょうか。
そんな事を考えながら、何げなく地図帳を見ていると「平塚の塚(緑地)」という地名を発見。今回はこの「平塚の塚」について、その由緒を調べてみたので紹介したいと思います。
眞砂子姫の眠る平塚は「ひらつか」?それとも「たいらづか」?
今は昔の平安時代、桓武天皇の孫娘に当たる眞砂子(まさこ)姫が、京都から東国に下向しました。
新幹線なんてない時代、皇族という身分であれば馬や輿こそ用意されていたであろうものの、何日も続く長旅で、現代人の感覚以上に疲労が溜まったことでしょう。
相模国に入った眞砂子姫は急病を得て、そのまま海辺の村で亡くなってしまったのでした。
土地の人々はやんごとなき姫君の死を悼み、里外れにある松の根元に葬り、塚を築いて弔ったそうですが、歳月を経てその塚は風化して平(ひら)たくなり、その故事からこの土地が「ひらつか」と呼ばれるようになったそうです。
ちなみにこの眞砂子姫、兄の高望(たかもち)王が平(たいら)の姓を与えられている(※以降、平高望と称する)ことから平氏の縁者でもあり、「平氏の姫君を弔う塚」を意味する「たいらづか」を語源とする説もあります。