江戸時代にも活躍していた!武田信玄の軍師・山本勘助の伝説を受け継いだ子孫たち【上】

山本菅助(やまもと かんすけ。晴幸)と言えば「甲州の虎」と恐れられた武田信玄(たけだ しんげん)公に仕え、兵法を駆使して戦国時代を代表する軍師の一人となった「山本勘助」のモデルとして知られています。

残念ながら、彼は永禄四1561年「(第四次)川中島の合戦」で自分の策略をライバル・上杉謙信(うえすぎ けんしん)公の軍師である宇佐美定行(うさみ さだゆき。定満)に見抜かれた責任をとって敵襲を食い止め、あえなく散華(討死)してしまいました。

しかし、山本勘助の伝説はその名と共に子孫たちへと受け継がれ、戦国乱世が過ぎ去った江戸時代においても兵法家として活躍していたことはあまり知られていません。

そこで今回は、山本菅助の子孫たちを紹介していきたいと思います。

山本菅助・七代の系譜

最初に、今回登場する「山本菅助」たちを家督継承順にリストアップします。

初代:山本菅助晴幸(はるゆき。山本勘助のモデル)
二代目:山本兵蔵幸房(ゆきふさ。晴幸の嫡男・二代目菅助
三代目:山本十左衛門尉幸俊(ゆきとし。晴幸の娘婿)
四代目:山本平一郎幸明(ゆきあき。幸俊の長男)
五代目:山本三郎右衛門正幸(まさゆき。幸俊の四男。後に三代目菅助
六代目:山本菅助(諱は不詳。正幸の嫡男。四代目菅助
七代目:山本十左衛門尉(諱は不詳。四代目菅助の養子)

※諱(いみな。本名)については諸説あります。

以降、幕末まで存続していくのですが、その道のりは決して平坦なものではありませんでした。

理解の助けとなるよう略系図も載せておきますので、照らし合わせながら読んで頂ければと思います。

2ページ目 二代目・山本兵蔵幸房(二代目菅助)

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