雛人形を飾って娘の健やかな成長と幸せを祈るひな祭り。その昔は、「雛人形が幸福をもたらしてくれる」のではなく、「雛人形が不幸を持ち去ってくれる」と考えられていました。
雛人形は娘の不幸を背負ってくれる存在
人間の姿をかたどった人形とは、人そのものを映しとったものでした。だから、紙や土で作った素朴な人形をさすったり、息を吹きかけたりすると、自分の中の「災い」や「穢れ」を人形にうつすことができるのです。
元々は、人間の「身代わり」。それが雛人形のルーツでした。太古の雛祭りは、そんな人形たちを河や海に流して、厄払いとする儀式でした。こうすれば、娘が災厄から逃れることができる。雛人形は娘の不幸を背負って、流れていってくれる存在だったのです。
そんな悲しい風習だった雛人形でしたが、平安時代の頃になると様子が変わってきます。呪術的な存在だった人形たちが、工芸の発達によっていきいきと輝きだしたのです。趣向を凝らした多くの人形が作られるようになりました。
貴族の家庭の女の子たちの間では、お人形遊び(雛・ひいな遊び)が大流行。やがて室町時代には親しい家の間で3月3日にひな人形を送りあう習慣が根づいていきますが、手の込んだ立派な人形をそうそう流すわけにもいきません。
3月3日の夜に娘の枕元に雛人形を飾っておくと、1年間の穢れを吸い取ってもらえると考えられたのですが、その後はお祓いをして、流さずにしまっておくようになりました。