1560年5月16日、2万5000人の大軍を率いる今川義元は、わずか2000人の織田勢に討たれて敗走します。
この今川家滅亡のきっかけとなったのが、後の世にいう「桶狭間の戦い」です。
桶狭間の古戦場といわれる場所は、現在の愛知県豊明市栄町南館という場所で、石碑も建てられています。ところが、実はもう一か所、桶狭間古戦場とされる場所が存在しているのです。
その場所は同じ愛知県の名古屋市緑区有松町大字ヒロツボの古戦場で、こちらにも同じように石碑が立っています。実はこの二つのエリア、隣り合わせでもないのです。
離れた距離にあるこの二カ所が一つの戦いの古戦場とされているのはどうしてなんでしょうか。
それは、合戦当日の今川軍の動きを見ればわかります。