戦場で生まれた絆!奥州征伐で抜け駆けした鎌倉武士の縁談エピソード【中】

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戦場で生まれた絆!奥州征伐で抜け駆けした鎌倉武士の縁談エピソード【上】

古来、結婚は家同士の結びつきとしてとらえられ、往々にして結婚する当人同士の意思とは無関係に話が進められてしまうものでした。結婚するまで相手の顔も知らない、そもそも結婚することさえ知らされなかっ…

時は平安末期の文治五1189年8月9日、源頼朝(よりとも)公が奥州の藤原泰衡(ふじわらの やすひら。奥州藤原氏)を征伐する決戦前夜。

「いつもエリートの畠山(次郎重忠)殿ばかり、活躍してずるい!」とばかり抜け駆けした三浦平六義村(みうらの へいろくよしむら)ら七人の中に、甲斐国の御家人・工藤小次郎行光(くどうの こじろうゆきみつ)と、信濃国の御家人・藤澤次郎清近(ふじさわの じろうきよちか)が加わっていました。

必死に敵陣を目指す七人の動きを察知しながら、重忠は「なにマジになっちゃってんの?俺が先陣になった以上、戦闘前に何をしようと全部俺の手柄になるし、そもそも頼朝公のために戦っているんだから、御家人同士の手柄争いなんてナンセンスだし(苦笑)」とばかり、エリートの余裕で彼らを見逃します。

そんな重忠に中小武士団の雑草魂を見せつけるべく、義村たちは遮二無二突き進んでいくのでした……。

いざ殴り込み!立ちはだかる強敵・伴藤八

さて、そろそろ夜も明けようとする時分、ようやく義村たち七人は敵陣の木戸口(門)にたどり着きました。

「よっしゃ行くぞ!鎌倉武士の恐ろしさを見せてやれ!」

「命の惜しくねぇ奴から、かかって来やがれコノヤロウ!」

たった七人とは言え、腕に覚えの坂東武者に不意を衝かれた奥州勢は俄かに混乱。義村たちは当たるを幸い、どんどん血路を斬り拓きます。

「甲斐の住人・工藤小次郎行光が一番乗りじゃ!」

「……者ども、敵は少数ぞ。狼狽(うろた)えるでないわ!」

奥州勢の大将は、奥六郡(現:岩手県奥州市辺り)で一番の怪力を誇る伴藤八(ともの とうはち)。伴の名字から主君にそば近く仕えたこと、藤八の名から奥州藤原氏の一族と考えられます。

「そこなるは、名のある大将とお見受けした!我こそは狩野五郎親光!お手合わせ願おう!」

「待て五郎!そなたの敵う相手では……あぁっ!」

行光の制止を聞かずに飛び出していった親光は、伴藤八の繰り出した一撃で戦場の露と消えてしまいました。

3ページ目 殺された弟分・親光の仇を討つ

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