戦国乱世を駆け抜けて「天下布武」の覇業を推し進めた風雲児・織田信長(おだ のぶなが)。
信長の正室と言えば「マムシの娘」と呼ばれた濃姫(のうひめ。美濃国の大名・斎藤道三の娘)が有名ですが、実は彼女、信長との結婚が最初ではありませんでした。
信長に嫁いだ時点で15歳だった濃姫は、いったいどんな男性歴を歩んできたのか、今回紹介したいと思います。
一人目の夫・土岐八郎頼香
濃姫の生年については諸説ありますが、ここでは『美濃国諸旧記』の天文四1535年説を採用。また、濃姫という呼称は「美濃の国の姫」という程度の意味で、本名は不明(帰蝶、胡蝶は創作)のため、便宜上「濃姫」で統一します。
その父親はご存じ「美濃のマムシ」こと斎藤道三(さいとう どうさん)。この時点では長井新九郎規秀(ながい しんくろうのりひで)と名乗っていましたが、こちらも便宜上「道三」で統一します。当時40歳。
道三は後に守護大名・土岐(とき)氏を追放して美濃国(現:岐阜県南部)を乗っ取るのですが、その野望を果たすため、まずは濃姫を土岐氏の一門である土岐八郎頼香(とき はちろうよりたか)に嫁がせました。
娘をいわば人質に差し出すことで忠誠心を示した道三ですが、天文十三1544年9月、尾張国(現:愛知県西部)の織田信秀(おだ のぶひで。信長の父)との戦いにおいて、どさくさに紛れて頼香に刺客を差し向け、自刃に追い込んでしまいます。
頼香暗殺の真相は部外秘とされたため、道三は表向き土岐氏との姻戚関係を保ったまま、有力なライバルを一人消し去ることに成功しました。
こうして濃姫は10歳という幼さで夫を失う悲劇に直面するのですが、その黒幕がまさか自分の父親であるとは、このとき思いもしなかったことでしょう。