貞女は二夫にまみえず!陰謀から御家を守り抜いた戦国時代の女城主・清心尼(完)

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貞女は二夫にまみえず!陰謀から御家を守り抜いた戦国時代の女城主・清心尼(一)

戦国時代、多くの武士たちが活躍する中で、女性が歴史の表舞台で活躍した例はあまり多くないように思われがちです。しかし、大河ドラマ「おんな城主 直虎」のように女性が家督を継承し、一国一城の主として…

貞女は二夫にまみえず!陰謀から御家を守り抜いた戦国時代の女城主・清心尼(二)

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貞女は二夫にまみえず!陰謀から御家を守り抜いた戦国時代の女城主・清心尼(三)

これまでのあらすじ時は戦国時代末期、若くして夫・八戸直政(はちのへ なおまさ)と幼い長男に先立たれた子子子(ねねこ)は、御家乗っ取りを企む南部宗家の息がかかった家来衆との再婚を断るため、出家・剃髪…

時は江戸時代初期、陸奥国の大名・南部宗家による御家乗っ取りを阻止し続けた根城(ねじょう。現:青森県八戸市根城)の女城主・清心尼(せいしんに)は、婿養子・八戸弥六郎直義(はちのへ やろくろうただよし)に家督を譲りました。

しかし、直義は南部宗家の筆頭家老として盛岡に赴任して不在、相変わらず所領経営に奔走する清心尼たちに対して寛永四1627年、遠野への転封命令が下されます。

莫大な財政負担に加えて、遠野では旧主・阿曽沼(あそぬま)一族をはじめとする土着勢力の抵抗が続いており、また南方から仙台藩主の伊達政宗が、虎視眈々と領土拡大の隙を狙っています。

「父祖伝来の土地を離れて、そんな所へ行かされるのか!」

これまで数々の仕打ちもあって家臣たちの不満は頂点に達し、今や南部宗家に反旗を翻さんばかりに憤っていました。

「同じ謀叛を起こすなら……」

しかし、清心尼は家臣たちを宥めて言います。

「……皆の気持ちは、わたくしとてよう判る。さりながら、婿殿(直義)は南部宗家の筆頭家老として愛(めご。清心尼の次女で直義の正室)らと共に盛岡にある……いわば人質じゃ。ここでいっときの怒りに任せて兵を挙げれば、婿殿らの生命は無論のこと、我ら八戸氏が代々にわたって尽くしてきた忠義まで無に帰する……それよりは、たとい如何なる困難であろうと耐え忍び、遠野の地を見事に治めて宗家を見返してやろうではありませぬか」

清心尼の覚悟を前に、家臣たちは怒りのやり場を失いつつありました。しかし、未だくすぶる顔色を見た清心尼は、こうも加えました。

「それに……同じ謀叛するのであれば、この北の果てで独り拳を奮うよりも、伊達や阿曽沼一族と手を取り合(お)うた方が、事も優位に進もうぞ。『我らの意思一つで、遠野の地は伊達の手に落ちる』と思えば、南部宗家も我らを粗末にできまい」

表向きは従いながら、いざとなればより有利な条件で謀叛を起こしてやろう。そう思えばこそ、遠野への転封を前向きに受け入れることが出来ます。

(尼御台様は、なかなか話の解るお方じゃ……!)

多くの家臣たちがそう思い、内心ニヤリとしたことでしょう。

かくして清心尼たちは父祖伝来の根城を離れ、南へおよそ三十三里(約130km)の遠野へと赴任したのでした。

2ページ目 その後・遠野にて

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