前回のあらすじ
時は江戸前期の寛文十1670年1月、紀州のみかん商人・長右衛門(ちょうゑもん)は江戸にみかんを出荷するため船出するも、遠州灘で暴風雨に見舞われて遭難。
約1か月半の漂流生活を乗り越えて、命からがら島(現:小笠原諸島・母島)にたどり着くも、船頭の勘左衛門(かんざゑもん)が力尽きて息を引き取ってしまいます。
悪いことは重なるもので、自分たちが乗ってきた船もボロボロになって沈没。残された長右衛門ら六名は、何としてでも生きて帰るため、これから待ち受けるサバイバル生活を覚悟するのでした。
これまでの記事
3ヶ月ものサバイバル生活!江戸時代のみかん商人・長右衛門の小笠原漂流記【一】
3ヶ月ものサバイバル生活!江戸時代のみかん商人・長右衛門の小笠原漂流記【二】
「生きてみんなで帰るんじゃ!」長右衛門の決意
「……よぉ旦那、これからどうする……?」
勘左衛門の弔いを済ませると、船頭を失った水夫(かこ)たちは、船が沈んでしまったこともあって、昨日のはしゃぎっぷりはどこへやら。すっかり意気消沈してしまいました。
それだけ勘左衛門が彼らの精神的支柱として大きな存在だったのでしょうが、こんなところでしょげ返ったところで事態は何も改善しません。
ここは長右衛門が、しっかりみんなをリードしなくてはなりません。
「そんなもん、決まっとるがな。みんなで生きて帰るんじゃ!」
日頃の商いで人の使い方は心得たもの、長右衛門はまず6名を2班に分けて、片方に生活拠点の構築、もう片方に伝馬船で島内の探索を担当させました。食糧調達は原則として各班で実施、余裕が出れば貯蔵に回します。
こういう非常事態において、まず重要なのは前向きな目標に向けた任務を全員に割り振ることであり、暇を持て余すことで心身を病んでしまう危険性を、長右衛門は理解していました。
その一方で、日々の仕事を通じて生じる不平や疲労が溜まらないよう、朝と夕に必ず全員で集まって何でも話し合い、必要に応じて任務や人員の交替や適切な休息など、柔軟な組織運用を実施。
幸い島には食糧になる海亀や野鳥が豊富で、薪の供給源となる森林や、水源には事欠かず、漂流中の苦労に比べれば、格段に生活水準が向上していきました。