「名奉行」「庶民の味方」として時代劇でもおなじみの大岡越前(おおおかえちぜん)。「越前」は官名に当たり、実名は大岡忠相(おおおか ただすけ)といい、江戸時代中期に活躍した幕臣ですが、後に活躍認められて、西大平藩の初代藩主となります。
町奉行から寺社奉行を得て大名になったという、江戸時代を通して唯一ひとりの異色の経歴の持ち主です。
彼が活躍した町奉行時代のエピソードは、幕末から明治期にかけて「大岡政談」としてまとめられているのですが、その裁可の一つに次のような話が残されています。
あるとき、子どもの親権を争う生みの母と育ての母に対し、大岡は両者にその両腕を引かせて勝った方を実母と認めると宣言。両者は当然必死に子の上を引き合います。ところが、痛がる子どもの泣き声に思わず育ての母は手を離してしまいます。負けてしまったと悲しむ育ての親でしたが、大岡は手を離してしまった母親に子を想う心を感じ取り親権を認めました。
一見人情味あふれる話ですが、これは後の講釈師によってつくられた架空の話。
「大岡政談」に描かれた大岡は、その公明正大な人柄から人気を集めましたが、実話として確実なものは一件しかないそうです。それが世にいう「白子屋お熊事件」。