決死の作戦と兄弟愛!天下一の強弓・源為朝が唯一倒せなかった大庭景義の武勇伝【中】

前回のあらすじ

時は平安末期、「保元の乱」に出陣した大庭平太景義(おおばの へいだかげよし)と、その弟の三郎景親(さぶろうかげちか)

敵の猛将・鎮西八郎こと源為朝(みなもとの ためとも)が立て籠もる白河殿に突入し、三郎と二手に分かれた平太は、為朝に一騎討ちを挑んだのでした。

前回の記事

決死の作戦と兄弟愛!天下一の強弓・源為朝が唯一倒せなかった大庭景義の武勇伝【上】

古今東西、戦傷(いくさきず)と言うものは何かと話のタネにされたもので、子供のころは銭湯などでご老人が頼みもしないのに腹やら肩やら、爆弾やら鉄砲の傷痕を見せてきては「これは満州で……」「これは南方で………

一か八かの大勝負!

一騎射ちと言うと、よく馬上で白刃を交える光景が描写されますが、太刀はあくまで矢が尽きた時の護身用、あるいは止めを刺して首級を挙げるためのものであり、戦闘の基本は弓矢でした。

互いに馬を馳せながら、いかに自分が相手よりも優位なポジション(例:矢の勢いが増す風上など)をとろうと近づいたり離れたり、距離を測りながらも矢を即座に放てるよう、弓は常に構えながらの駆け引きです。

「……おのれ平太め、さっきからちょこまかと!」

真正面から立ち向かえば矢の餌食と心得ている平太は、巧みな手綱さばきで為朝との距離感を狂わせ続け、なにぶん短気な為朝のこと、たちまち苛立ち、カンカンに怒り出します。

「やい大庭め!うぬは戦(たたこ)うとるのか、舞うとるのか!正々堂々と勝負せい!」

そろそろ潮時と見た平太はニヤリと笑うなり馬に一鞭入れて、為朝目がけて一直線に駆け出しました。

互いの位置関係は弓手(ゆんで。左手)を向けあい、矢を射かけるのに適した体勢となっています。

「さぁ参れ……大雁股(鏃)の錆にしてくりょうぞ……!」

やっとのことで本領を発揮できる、と為朝は舌を舐めずり、引目の矢をつがえた弓をしっかり構えます。

(まだじゃ……もっと引きつけよ……!)

猛然と迫り来る平太に狙いを定め、大雁股の鏃が敵の命を捉えます。

(三間、二間、一間※5……今あっ!?)

為朝が矢を射放たんとしたその瞬間、平太は手綱を操って馬体をずらし、為朝の馬手(めて。右手側)に回り込んだのでした。

通常、弓は左手で持ち(だから弓手と言います)、右手で弦を引いて矢を射放つため、右側の敵に対して不利となりやすい特性があります。

特に馬上では馬の背に跨っているので、右側へ矢を射るには上体を大きく捻らねばならず、狙いがブレやすくなるため、平太はその隙を衝く作戦に出たのでした。

しかし、互いに馬手を向け合っては、平太も不利になってしまうますが、その対策もしっかり練っておいたのでした。

(※5)一間≒1.8m

3ページ目 決まるか!?繰り出された平太の秘策

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