戦国時代に活躍した島津義弘で思いつくのは関ヶ原の戦いで見せた関ヶ原の退き口や圧倒的な武勇だと思います。
そのおかげで日本では鬼島津と恐れられ、海外では文禄・慶長の役の時に朝鮮・明軍から鬼石曼子(グイシーマンズ、鬼島津の意味)と恐れられてきました。
そのような背景があってか福島正則を始め多くの戦国武将から尊敬された義弘にはもはやギャップといってもいい程、猫が大好きでした。今回は義弘と猫の関係を紹介します。
猫と共に従軍した義弘
義弘が猫と共に戦場を駆け抜けたのは文禄・慶長の役のことです。猫を戦場に連れていったのは、ただ癒しのためではなく時間を計るためでした。
義弘は明るい所では細くなり、暗いところでは丸くなる猫の目の特性を利用していたそうです。海外の慣れない環境での戦は猫の手も借りないと勝てない過酷さだったことが窺えます。
それは猫も同じで7匹引き連れていった猫のうち、無事に日本に帰ることができたのはたったの2匹でした。
猫にとっても慣れない環境は非常にストレスだったと思います。2匹の名前もわかっていて、ヤスとミケだそうです。
特にヤスは義弘の次男、島津久保(しまづひさやす)が非常に可愛がっていました。自分の名前の一部を猫に名付けたのだから、相当猫を可愛がっていたことが窺えます。
ヤスは茶トラの猫で、これ以来鹿児島では茶トラの猫をヤス猫と呼ぶようになったとされています。