皆さんは「内助の功」という言葉をご存知ですか。
家庭において、夫の外部での働きを支える妻の功績の意味で使用されるこの言葉ですが、まさに戦国時代に活躍した女性、県性院(けんしょういん)こと山内千代(やまうちちよ)に当てはまる言葉だと思います。
今回は戦国時代を代表する良妻賢母、山内千代の夫想いな心温まるエピソードをご紹介します。
寝返りの勧誘状に千代がとった行動とは…
慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いが起こる2ヶ月前、徳川家康率いる東軍は上杉征伐に赴いていました。一方、西軍の石田三成は東軍の動きを抑制しようと東軍に味方する大名の妻子を人質に取っていました。
東軍の中には千代の夫である山内一豊(やまうちかずとよ)がいたので、千代は人質の身でした。そんな時に三成から千代宛に一豊を西軍に味方するよう促す勧誘状が届きます。
そして、使者からの命令通り千代は一豊に勧誘状を届けます。この時、千代は一豊宛の手紙を2通書き、1通は勧誘状と共に文箱へ、もう1通は使者の編笠の緒の中に縒りこませました。