『風立ちぬ』、観ましたか。
ゼロ戦の開発者・堀越二郎の評伝に、同時代の小説家・堀辰雄のエッセンスを入れ、さらには監督・宮崎駿の自伝的要素も交えた、今夏最大の話題作です。「宮崎駿の最高傑作」から「何が面白いのかさっぱりわからん」まで、意見の振れ幅が異常に広い作品ですが、それだけ振り切った内容であり、いろんな意味で手加減のない世界ではありました。
「美しいものが好き」という「二郎」の背後に広がる、死屍累々。その中には彼にとって一番大切であるはずの人もいるわけですが、「一機も帰って来ませんでした」と淡々と語った大勢の戦闘機のパイロットもまた、含まれています。そして、彼と同じ「夢」を追う途中で逝ったり消えたりしたであろう、多くの先達や仲間たちも。
戦死した兵士はかの神社へ祀られているわけですが、それとは別に、飛行機関係の犠牲者ばかりを祀る神社というのも、日本には存在します。その名も、飛行神社。所在地は、今夏の『そうだ 京都、行こう』で取り上げられている石清水八幡宮がある、京都府八幡市です。
ライト兄弟に先行して「玉虫型飛行器(ママ)」を発案するものの、当時の軍に相手にされず、自力で実用化を目指すうちに先を越されてしまった、発明家・二宮忠八。夢を断たれた後は実業に生きた彼でしたが、飛行機事故で死者が続出するに及び、その犠牲者を弔う神社を設立しました。それが、飛行神社。鳥居には、「二郎」が試作機に導入していたジュラルミンを使用。奥にディスプレイされてるのは、大破したゼロ戦の機首。
飛行神社は、戦闘機であろうと、民間機であろうと、飛行機で命を落とした全ての人の霊を祀っています。その様はまるで、「人が空を飛ぶこと」の業そのものを引き受けているかのようです。空に憧れて、空をかけてゆく。「美しいもの」を追いかけて戦闘機を生み出した「二郎」のオブセッションが、とある時代状況に於ける天才だけのものではなく、人間全てに通じる何かであることを、この神社は示しているのかも知れません。
あ、ちなみに飛行神社、最近では受験生にも人気なんだとか。いわく「落ちない」、と。落ちて死んだ人を祀ってる神社なんですけどね・・・。しかも設立したのは、落ちる以前に飛べなかった人なんですけどね・・・。