集団処刑、熱湯漬け拷問…そして島原の乱、勃発。日本におけるキリシタン弾圧の歴史

中みうな

日本で初めてのキリシタン弾圧「日本二十六聖人殉教事件」

キリシタン文化の濃い街となった長崎。しかし豊臣秀吉は1597年、長崎で26人のキリシタンを処刑します。

そのきっかけとなったのが、サン・フェリペ号事件でした。1596年、フィリピンからメキシコを目指し、太平洋を横断していたスペイン船サン・フェリペ号が現在の高知県浦戸湾に漂着しました。その船の乗組員が、秀吉が遣わせた使者にこう語ったのです。

「スペインはキリスト教の宣教師を各国に派遣し、信者を増やして、その国を征服する。」

これを聞いた秀吉は激怒。京都や大坂にいた外国人宣教師や日本人キリシタンを捕らえ、長崎の西坂で処刑しました。これが日本で初めてのキリシタン弾圧事件、日本二十六聖人殉教事件です。26人のうち6人は外国人、20人は日本人で、中には12~13歳の少年2人もいました。

ちなみに「聖人」とは、カトリック教会において、死後、その聖性を認められた者に与えられる称号で、26人は1862年に列聖されました。

26人の処刑後、長崎ではキリシタン弾圧の嵐が吹き荒れました。長崎にあった教会は次々と破壊され、「小ローマ」と呼ばれた町並みは消されていきました。

1614年には宣教師や信徒らを国外に追放。キリシタン大名として有名な高山右近は、この時にマニラに追放されています。彼らは帰国を許されず、二度と日本の地を踏むことはありませんでした。

さらに1622年には二十六聖人の処刑が行われた西坂で、宣教師ら25人が火あぶり、その他キリシタン31人が斬首されるという「元和の大殉教」が起きました。

3ページ目 雲仙地獄での熱湯漬け拷問、そして絵踏みの始まり

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