もうすぐ夏本番。店頭にも花火が並び始めました。
日本に花火がいつから存在していたのか、現在でも定かではないそうですが、最古の記録として室町時代のものが残っているそうです。
夏の風物詩として、庶民の間で楽しまれるようになったのは、江戸時代。その様子が描かれた浮世絵をまとめてみました。
≪名所江戸百景 両国花火≫歌川広重
現代のような華やかな円形の花火とは違い、一本線で描かれた花火。しかし、その技術の進歩は浮世絵によって知ることが出来ます。
≪江戸自慢三十六興 両こく花火≫歌川豊国、歌川広重
≪東都名所之内 両国花火≫歌川広重
近づいてくる様は、まるで隕石!?
≪両国夕納涼之図≫歌川国貞
≪両国花火之図≫歌川豊国
こちらは、両国の花火大会の様子。今にも「玉屋」「鍵屋」という花火見物の掛け声が聞こえてきそうです。この「玉屋」「鍵屋」というのは、共に花火師の名前で、玉屋は鍵屋から分家した家でした。鍵屋の六代目弥兵衛が、両国の川開き花火を担当したことで有名になりました。
人で埋め尽くされているこの橋は、両国橋。実はこの橋を境目として、上流を「玉屋」、下流を「鍵屋」が受け持ち、両国の川開き花火を打ち上げたとか。大勢の人で賑わうのは、毎年の恒例になっていたようで。
≪東都両国夕涼之図≫歌川貞房
≪東都両国橋 川開き繁栄図≫歌川豊国
川に船を浮かべ花火を眺めることが出来たのは、裕福な武家や町民のみ。川遊びは贅沢な遊びだった為、庶民は川岸や橋から夜空を見上げていました。
現代の花火は色鮮やかで、形も様々。団扇片手に、夏の夜空を彩る花火を見て「玉屋」「鍵屋」と叫びたくなるのは、今も昔も変わらないのかもしれません。