江戸時代、フグは中毒死することが不名誉として武士の間では禁止されましたが、民間においては愛好されたのは前回ご紹介しました。今回は、近代化を迎えるにあたってフグ料理が辿った数奇な運命と、現状について紹介します。
これまでの記事はこちら。
食べ方いろいろ至福のグルメ「ふぐ料理」の伝統はなんと縄文時代から始まっていた
フグの旬は冬だけじゃない!?フグの旬といえば『秋の彼岸から春の彼岸まで』と言われることや、鍋ものやシメのフグ雑炊から、冬を連想する方も多いのではないでしょうか。実際、フグ料理は鍋や唐揚げなど熱い料…
江戸時代のふぐ料理禁止令…でも庶民はお構いなし!ふぐ料理が法律を破って大発展
第1回は、フグと日本人の出会いについて紹介しましたが、[insert_post id=59280]今回は近世以降にフグ料理の発展についてを紹介していきます。天下人も大あわてした、フグ料…
幕末の志士が糾弾しても続けられたフグ食
フグが庶民の間で人気だった理由はグルメだけではなく、江戸などでは男性が度胸試しで食べることがありました。妻子持ちは断ることが出来たという話もあります。そうした風潮とは真逆であったのが長州で、かの地が生んだ幕末の才人・吉田松陰に至っては著作『不食河豚説(フグを食わざるの説)』の中でフグ食を批判するほどでした。
長州藩は、豊臣秀吉によるフグ禁止令が出される原因になった地・下関があるため、松陰氏が神経質になるのも無理はありませんね。一方で、長州藩の医師が天保年間に著した『河豚談』は日本初のフグ専門書とも言われており、この名物の魅力に負けて賞味する人はやはりいたのでしょう。