フグ解禁の立役者は伊藤博文。禁断グルメから日本が誇る料理に昇格したフグ料理の進化

やたろう

江戸時代、フグは中毒死することが不名誉として武士の間では禁止されましたが、民間においては愛好されたのは前回ご紹介しました。今回は、近代化を迎えるにあたってフグ料理が辿った数奇な運命と、現状について紹介します。

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幕末の志士が糾弾しても続けられたフグ食

フグが庶民の間で人気だった理由はグルメだけではなく、江戸などでは男性が度胸試しで食べることがありました。妻子持ちは断ることが出来たという話もあります。そうした風潮とは真逆であったのが長州で、かの地が生んだ幕末の才人・吉田松陰に至っては著作『不食河豚説(フグを食わざるの説)』の中でフグ食を批判するほどでした。

長州藩は、豊臣秀吉によるフグ禁止令が出される原因になった地・下関があるため、松陰氏が神経質になるのも無理はありませんね。一方で、長州藩の医師が天保年間に著した『河豚談』は日本初のフグ専門書とも言われており、この名物の魅力に負けて賞味する人はやはりいたのでしょう。

3ページ目 フグ解禁の立役者は伊藤博文?

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