「超々ジュラルミン」生みの親はなんと日本人!零戦を支えた“奇跡の金属”を産んだその技術開発史

Writer121

アルミニウムを改良

金属の進化は、時として人類の歴史そのものを変える力を持っています。アルミニウム合金の発展史は、まさにそのような技術革新の典型例といえるでしょう。

アルミニウムという金属は、その軽量性から現代においても航空機、家電製品、自動車部品など幅広い工業製品に使用されています。

しかし、鉄系材料と比較して軽量である一方、強度の低さという根本的な課題を抱えていました。

この問題を解決する突破口となったのが、1906年のドイツの冶金学者による発見でした。

アルミニウムに銅、マグネシウム、マンガンを添加し加熱処理を施すことで、強度が劇的に向上することが判明したのです。

この技術により開発されたアルミニウム合金が、後にジュラルミンと呼ばれることになります。

初期のジュラルミンは主に飛行船の骨組み材料として活用されました。

軽量でありながら従来のアルミニウムより高い強度を持つこの合金は、ケースや手提げ箱のほか、航空技術の材料としても重要な役割を果たします。

「超」から「超々」へ

技術の発展は国境を越えて続きます。アメリカにおいて、ジュラルミンをさらに改良した超ジュラルミンが誕生しました。この合金は、原型となったジュラルミンを上回る性能を有していました。

そして1936年(昭和11年)に日本の住友伸銅所(現在の住友金属工業)が、アメリカの超ジュラルミンをさらに発展させた超々ジュラルミンの開発に成功しました。

この新合金の強度は、アルミニウム合金2000番台として分類される超ジュラルミンをも凌駕するものでした。

この超々ジュラルミンが歴史に名を刻むことになったのは、零式艦上戦闘機、通称零戦の主翼材料として採用されたからです。

軽量性と高強度を両立したこの合金は、戦闘機という用途に理想的な特性を備えていました。

零戦の生産数は約1万機に及びましたが、これほどの大量生産が可能だったのも、超々ジュラルミンの安定した供給とその優れた加工性によるものでした。

3ページ目 現代にも活きている技術

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