かつては流刑地だった!順徳天皇や日蓮聖人も配流、金銀の採掘も行われた「佐渡島」の歴史

雲川ゆず

新潟県の西部に位置し、日本海にある「佐渡島(さどがしま・さどしま)」。国の天然記念物にも指定されている「トキ」が有名であり、観光に訪れたことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

そんな佐渡島ですが、その歴史について、みなさんはどのくらい知っていますか?悠久のときを刻む佐渡島。調べてみると、深い歴史と豊かな文化が残っていました。

佐渡の歴史はかなり古い

佐渡の歴史は非常に古く、遺跡の出土品などから1万年前から人が住んでいたことがわかっています。佐渡・金井地区の千種遺跡からは弥生時代後期とされる石器や狩猟用具が見つかっています。

また、歴史書『古事記』には「佐度島(さどのしま)」という記述があります。

奈良時代には一国に、そして流刑地に

奈良時代には佐渡は一国とされ、流刑地となっています。

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中世末までで、流刑された人の数は記録に残っているだけで70人ほど。都での政争に敗れた人々が流されてきました。

たとえば、承久の乱で敗れ1221年に配流された順徳天皇(じゅんとくてんのう)。配流後22年を佐渡で暮らし、京都へ帰ることを望んでいましたが、それもかなわず佐渡で崩御しています。

また、日蓮宗の宗祖・日蓮聖人(にちれんしょうにん)も、鎌倉幕府や他教を批判したことで1271年に配流されました。さらに、能を大成した世阿弥も1434年に配流されています。

こうした人々がもたらした文化は、現在でも佐渡の伝統芸能に影響を及ぼしています。

3ページ目 江戸時代には金銀山が幕府財政を支える

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