いつの時代も「白く美しい肌」にあこがれる人は多いもの。現代でも「美白」をうたった化粧品は数多くあり、人気を博しています。「色の白いは七難隠す」ということわざがあるように、昔から肌の色の白さは重要視されてきました。
今回は、庶民にも化粧文化が広まった江戸時代の「おしろい」について、使われていた意外な原料をご紹介したいと思います。
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江戸時代以前は、化粧は一部の人のみの文化
日本における化粧の歴史は、古墳時代にさかのぼります。赤土などを塗っていましたが、これは美しさのためではなく宗教的・呪術的な意味合いの強いものでした。
飛鳥時代には大陸からおしろいなどが伝わり、美しさのための化粧がスタート。平安時代には日本独自の化粧スタイルになっていきます。
室町時代には化粧が身分などの社会的立場を示すものに。化粧にも細かなルールができはじめますが、上流階級だけの文化にとどまっていました。