今見る大阪城は徳川時代の再建だった!秀吉時代の大坂城を徹底破壊して築城した近世要塞の見どころ【どうする家康】

高野晃彰

大阪市のシンボルとして名高い大阪城。しかし。この城郭は大坂の陣で落城した豊臣氏の大坂城を破壊し、土を被せて埋めた上に再建した城でした。

築城は、徳川家康の没後14年の1630年代。この新しい大阪城の完成から、江戸時代「天下の台所」と呼ばれた商都大阪の歴史が始まりました。

近世城郭として再建された徳川大阪城

数ある大阪のシンボルの中で、最も大阪を象徴する大阪城は、現在、天守閣を中心に「大阪城公園」として整備されています。

そもそも大阪城は豊臣秀吉が、石山本願寺の縄張りを利用し、1583(天正11)年から15年余りの歳月をかけて築造しました。秀吉が天下人となると大阪は日本の中心となり、城下町も拡大され、東西約3km、南北約2kmの当時としては広大な町を形成したのです。

しかし、大坂の陣で豊臣氏が滅亡すると、徳川家康は大坂城を、城下町もろとも完全に破壊してしまいます。そして、その没後14年にして、本丸・二の丸・外堀からなる現在の大阪城が再建されました。

ちなみに、豊臣氏の大坂城は、徳川の大阪城の5倍の広さがあったと推定されています。豊臣氏の大坂城は完全に破壊されていますが、城跡の周囲や現城跡にその面影を留めているものもあり、そうしたスポットを探して大坂城の歴史散策も楽しいものです。

城内は各所に案内板が設置されています。城址散策の際は、これを活用すると迷うことなく見どころをめぐることができるので、細かくチェックすることをおすすめします。

5ページ目 今は博物館として約9千点を越える文化財を所蔵する天守閣

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