みなさんは、小堀遠州(こぼりえんしゅう)という人物の名前を聞いたことがありますか?お茶を習っている方であれば、もしかしたらご存じかもしれません。
というのも、彼はかの有名な千利休の孫弟子。しかし、小堀遠州はお茶だけでなく、さまざまな分野で優れた功績を残した人物でもありました。今回の記事では、そんな小堀遠州について詳しくご紹介したいと思います。
小堀遠州とは?
小堀遠州(こぼりえんしゅう)は、本名を小堀正一(こぼりまさかず)といい、天正7年(1579年)に近江国に生まれました。
幼いころから父による英才教育を施され、10歳のときには千利休に出会い、茶の湯にめざめています。そして、15歳で千利休の弟子の古田織部(ふるたおりべ)のもとで茶の湯を学びます。
茶道での功績
千利休、そして師匠の古田織部から続く茶道の本流を受け継ぎながらも、遠州は「綺麗さび」と称される独自の上品な茶道を大成しました。生涯で400回ほどの茶会を開いたと言われています。
父は豊臣秀吉に仕えていましたが、秀吉の死後は家康の家臣となり、遠州は家康の茶道指南役にもなっています。ちなみに、遠州の「綺麗さび」は現在まで受け継がれています。