食品サンプルの生みの親
レストランや食堂などで、食品サンプルがショーウインドウに並んでいるのをよく見かけますね。
今ではごく一般的な光景ですが、実はこうして展示されている食品サンプルは、一人の人物が試行錯誤を繰り返して、今風に言えば販売促進ツールとして開発したものだったのです。
食品サンプルの生みの親は岩崎瀧三氏。彼が立ち上げた岩崎模型製造株式会社から、本格的な日本の食品サンプルの歴史は始まりました。
食品を模型にした料理見本と呼ばれるものは大正末期からすでに存在していました。実際の料理に寒天を使って型を取り、蝋を流し固めて作られていました。
この料理見本についての発祥や誕生の経緯に関する詳しい資料は残っていません。どのような見た目の料理なのかを学生などに伝えるための教材として使われることが多かったようです。
スタートは蝋細工のオムライス
瀧三氏は20代後半の時にこの料理見本に出会い、販売促進ツールとして活用することを発案します。料理の見た目だけでなく、その質感や味までもを人々に伝えることを目指し、開発がスタートしました。
最初に作られた食品サンプルはオムライスでした。黄色い卵とつややかに光る赤いケチャップが特徴的で、出来立てのようなそのサンプルは記念オムと呼ばれています。
見ているだけで食べたくなるような食品サンプルは日本中に広まり、街の人々の目につきやすい店頭に置かれます。食品サンプルは単なる模型からお店の広告の役割を担うようになっていったのです。
初期の食品サンプルは蝋で作られていました。
また、一言でオムライスと言ってもお店によって味も見た目もさまざまです。よって店ごとのメニューに合わせて一つずつ手作業で作ることから大量生産は難しく、職人による芸術的な蝋細工だったと言えます。