江戸幕府の最後の将軍・一橋慶喜(徳川慶喜)。幕末の激動の時代を生き、大政奉還を行ったことなどから、彼の名前を知らない人は少ないのではないでしょうか。
では、彼の正妻はどうでしょう?パッと思い浮かばないのではないかと思います。彼女の名前は、「美賀君(みかぎみ)」。まさに彼女も、波乱万丈な人生を送りました。
慶喜に嫁ぐはずではなかった美賀君
美賀君(一条美賀子:いちじょう みかこ、徳川 美賀子)は、1835年(天保6年)に公家の今出川公久の娘として生まれました。涼しげな目元と通った鼻筋をもつ、美しい女性だったといいます。
実は美賀君は、徳川慶喜と結婚するはずではありませんでした。慶喜は一条忠香の娘である千代君と婚約していました。
しかし、結婚直前に彼女が疱瘡にかかってしまい、顔に疱疹が残ってしまったことから婚約は破綻。そこで千代君の「代役」になったのが美賀君でした。美賀君は、一条忠香の養子となっています。
さびしい思いをした結婚生活
ピンチヒッターとして結婚することになった美賀君ですが、結婚生活も楽しいものではなかったようです。
まず、慶喜と彼の義祖母である徳信院との仲が非常によかったことがあります。時代は幕末。ペリー来航などで幕府は多忙を極めます。仕事に加え、徳信院との時間ばかりを大切にした慶喜と美賀君の仲は深まりませんでした。
その後、美賀君は自殺未遂まで起こしてしまいます。