松永久秀・斎藤道三と並び、戦国の三大悪人と呼ばれる「宇喜多直家(うきたなおいえ)」。直家を悪人たらしめる由縁は、度重なる謀殺や暗殺を繰り返した事実だろう。
今回は、戦国切っての策謀家・宇喜多直家の所業をご紹介する。
苦しい子供時代
1529年。備前国(現在の岡山県)の国人であった父「宇喜多興家(うきたおきいえ)」の子供として生まれる。祖父「能家(よしいえ)」は、備前国で守護代を努めていた浦上氏に仕えた有能な武将だったが、同じく浦上氏の家臣であった島村盛実によって暗殺されてしまう。
直家は幼くして(5歳前後といわれている)祖父を失った事を契機に、父親と共に放浪生活を余儀なくされたという。父親である興家も1530年代後半には死亡しているようで、死因ははっきりしないが、暗殺とも病死ともいわれている。
一説には、親子で備後国(現在の広島県)の鞆に落ち延び暮らしたとされる。
浦上氏家臣へ
成人した直家は備前国の浦上宗景に仕える。浦上氏内部で政策の違いから兄である政宗と弟の宗景が対立すると、直家は宗景に臣従した。1556年~57年には、過去に祖父が城主であり、自身が生まれたとされる砥石城(といしじょう)を政宗方から奪還。浦上家家臣の中で徐々に頭角を表していった。