さよなら!としまえん…実は敷地内に室町時代の城跡がある貴重な水と緑の遊園地【前編】

高野晃彰

都内有数の歴史ある遊園地として、はば広い世代に愛されている「としまえん」。練馬区のシンボルともいえる価値ある財産ですが、残念ながら2020年8月いっぱいをもって閉園になります。

としまえんの歴史は古く、園内には室町時代の城跡や、100年以上の歴史を持ちニューヨークから運ばれてきたカルーセルエルドラド(回転木馬)、500本の桜、150品種のアジサイなど、貴重な見所がたくさん。

そんな「としまえん」の魅力を記憶に残すためにご紹介したいと思います。

実は歴史が長い遊園地「としまえん」

 

長い歴史と貴重な見所の多い遊園地として、多くの人々に愛されてきた「としまえん」。その誕生は、大正時代までさかのぼります。

大正時代の実業家がとしまえんの創始者

今から94年前の大正15年ごろ、樺太工業(王子製紙)の専務であった藤田好三郎氏が、自分や家族のための静養地として12000坪の土地(石神井川南側)を入手。

その後も石神井川北側の土地などを入手したものの、大邸宅などは建設せず「運動と園芸を人々に広く推奨する」目的で公開しました。

開園日は大正15年9月15日となっていますが、ウォーターシュートやボート池・温室などができ全面開園となったのは昭和2年のことです。

開園当時は、運動場と温室ができ、その数年後には養鶏場やいろいろな畑が整備され、遊園地というよりも大きな農場に近い雰囲気だったそうです。

園内には室町時代の城跡が残る

 

ご存じない方もいるのですが、実はとしまえんの敷地内には室町時代の城・練馬城跡があるのです。練馬城は、豊島氏が石神井城の支城として築いたものと考えられ、城郭構造は「平山城」(平野の中にある山や丘陵に築かれた城)でした。

開園当初は「城址公園」として開園、豊島氏にちなみ「豊島園」と名付けられていました。

現在でも、プールのあたりが練馬城主郭、園内を流れる石神井川が掘、ゲートを入ってすぐの右側には土塁ほか、随所に名残りがあるのです。

3ページ目 季節の花や緑が溢れる遊園地

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