現代でも女性に人気の花魁の衣装、いくらかかったの?
吉原の最高級の遊女・花魁といえば、ほぼ例外なくこのような豪華絢爛な衣装をまとった姿をしています。
彼女たちは浮世絵のモデルになったり、身につけるファッションが一般の女性たちの流行の最先端になったりと、当時は現代のトップアイドル並みの人気者でした。
現代でもその華やかさへの憧れからか、京都などでは花魁の衣装を着て記念写真を撮る「花魁変身」が、「舞妓変身」と並んで女性たちに人気です。また夜のお店で働く女性たちの間でも、花魁衣装風のドレスはもはや「定番」のようです。
さて、そんな花魁たちの着ていた衣装や、かんざしなどの装身具の数々、そもそもなんであんなに豪華だったのでしょうか?そして全部合わせると、いったいどのくらいの費用がかかっていたのでしょうか?
「首から上だけで家1軒」かかった費用はすべて花魁の自腹!
花魁は夏でも冬でも、平安時代の十二単を思わせるくらい何枚も着物を重ねて着ていました。長襦袢を2枚、小袖を3枚の上に「額小袖」と呼ばれる豪華な小袖を重ね、帯を締めた上に更に「仕掛け」という豪華な打掛けを2~3枚重ねて羽織っていました。
そして頭も、大きく結った髷にべっ甲のかんざしや笄(こうがい)、花かんざしなどで華やかに飾り立てていました。
これらの総額はなんと「首から上だけで家1軒」といわれるほどかかっていましたが、妓廊が買ってくれたり貸してくれたりしたわけではなく、基本的に全て花魁の自腹でした。
花魁が他の遊女とは違うという「格」を維持するために欠かせない必要経費でしたが、花魁が売られてきたときの身代金や借金に上乗せされたので、花魁たちはどんなに客にお金を落とさせていても、自分が裕福になることはありませんでした。
稼いでも金持ちになれなかった花魁。豪華絢爛な衣装費は彼女らが売られてきた時の身代金や借金に上乗せ
しかし裕福ななじみ客の中には、花魁の気を引き、さらに他の客との差をつけるために、まるで競い合うかのように豪華な着物や装身具を花魁にプレゼントする人たちもいたようです。
考えただけでも、目が回りそうな世界ですね。
それにしても、なぜ花魁の衣装はそこまで豪華絢爛になったのでしょうか?