『奥の細道』知ってますか?
皆さん、『奥の細道(『おくのほそ道』表記もあり)』を読んだことはありますか?
江戸時代に活躍した俳人として知られる松尾芭蕉による、紀行文に俳諧が詠み込まれた作品です。
月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也
という序文は、国語(古典)の教科書で見たことのある方も多いでしょう。
松尾芭蕉は、彼が崇拝していた鎌倉時代の僧侶で歌人でもある西行の、500回忌にあたる1689(元禄2)年に『奥の細道』の旅へと出発しました。この時、彼の門人の河合曾良(かわいそら)も同行しています。
松尾芭蕉が旅に出た出発の地は、ココ!
松尾芭蕉がそれまで住んでいた「芭蕉庵」を引き払い『奥の細道』の旅に出発したのは、本文によれば
千住といふ所
でした。
芭蕉は「芭蕉庵」のあった深川から船に乗り、千住大橋で下船して
行春や 鳥啼魚の目は泪
(晩春に鳥は別れを惜しんで泣き、魚の目にも涙が浮かんでいるよ)
という句を詠み、見送りの人々に別れを告げました。
実際に東京都足立区の千住宿の入口で、京成電鉄の千住大橋駅からほど近い場所へ行ってみると
街薄暑 奥の細道 ここよりす
という石碑とともに、松尾芭蕉の銅像が建てられています。
芭蕉の銅像の左隣の石碑に「矢立初」とあるのは、この地でこの句を詠むために携帯用の筆記具「矢立」を使い始め、旅が始まったということを意味しています。
芭蕉は最終的に600里(2400km)、日数にしておよそ150日間をかけて全行程をまわりました。彼が江戸に戻ってきたのは、1691(元禄4)年のこと。
このうち、武蔵(東京都・埼玉県・神奈川県の一部)~下野(栃木県)~陸奥(青森・岩手・秋田県の一部・宮城・福島県)~出羽(山形県・秋田県)~越後(新潟県)~越中(富山県)~加賀(石川県南部)~越前(福井県の一部)~近江(滋賀県)と進み、美濃大垣(岐阜県)を出発するまでが『奥の細道』には描かれています。
3ページ目 「奥の細道」の出発点とされる場所はもう1つある?