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江戸時代の防寒どうしてた?実は羽織は男性専用だった。町人女性の「上着」の種類あれこれ

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羽織は陣羽織が原型。女性が着始めたのは芸者が発端

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羽織

今でこそ女性も当たり前のように着てますが、実はこれ本来は男性用なのです。元は陣羽織から発生して防寒着の役割をもったもの。武士の最高位の礼服は将軍などに謁見するときや登城する際の「裃」姿ですが、紋付き羽織袴は士分以外の最上位の礼服となりました。

ですので羽織は訪問先では脱ぎません。西洋のスーツも、訪問先や人前では上着を脱ぎませんよね。脱ぐと「着流し」と呼ばれて遊び人や吉原の通人などによく見られました。町人の羽織は柄が派手なものや糸を盛ったりしてどんどん華美に。紋付き以外はカジュアルになっていきます。

で、なぜ女性が身につけるようになったかというと辰巳芸者(深川芸者)が着始めてから。辰巳芸者は芸名で「音吉」「豆奴」など、男性名を名乗っていました。遊女とは違い、男に媚びず、芸は売っても色は売らない心意気を表したといいます。そんな芸者たちが「男勝り」に男物の羽織を羽織ったことから、粋でかっこいいと真似する女性があらわれます。

しかし着衣の乱れが風紀を乱すということで、幕府からたびたび着衣を禁じられました。

ちなみに武士も裃など礼装以外で町を出歩くときなどに羽織を着ていました。素材や織りには決まりごとがあり、四月は袷の上に縮緬、五月は単の上に絽、六月は帷子の上に紗でした。

2ページ目 じゃあ女性は何着てた?

 

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