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いたずら心が悲劇へ。12歳で亡くなった四条天皇の運命と歴史のその後が壮絶すぎる

いたずら心が悲劇へ。12歳で亡くなった四条天皇の運命と歴史のその後が壮絶すぎる

1221年、後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)が、鎌倉幕府執権北条義時(ほうじょうよしとき)に対して討伐の兵を挙げました。日本史上はじめての公家と武家との政権争いとされているこの戦いですが、結果的に幕府軍の勝利に終わり、以後、鎌倉幕府はその影響力を増大させることになります。

後に、「承久の乱」と呼ばれるこの騒乱によって、首謀者の後鳥羽上皇は隠岐へと島流しとなり、皇子たちも処罰されました。

この騒乱の後に即位したのが、後鳥羽上皇の兄である後高倉天院の皇子である後堀河天皇(ごほりかわてんのう)でしたが、後堀河天皇は1232年、わずか2歳の四条天皇(しじょうてんのう)を第87代目天皇として即位させると、自らは上皇として21歳で院政を行うようになります。ところが、元来病弱だっため、その2年後に死去してしまいました。

四条天皇に悲劇が起こったのそれから10年後、彼が12歳になったときのこと。

12歳の男子といえば、今もそうですがいたずら大好きのやんちゃ坊主が多いもの。当時の四条天皇もまさにそうでした。ある日、宮廷の女房たちを驚かせようと、天皇が御所の廊下に滑る石を並べました。

並べ終えた天皇は、仕掛けがうまくいくかチェックしようと一度、自分で試してみました。その結果、転倒して頭を強打。その傷が致命傷となり、3日後になくなってしまいました。

2ページ目 鎌倉幕府は大混乱。天皇がいない状態が11日間つづく

 

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