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故・勘三郎丈が生涯に一度しか演じなかった伝説のお役。シネマ歌舞伎「め組の喧嘩」公開中

故・勘三郎丈が生涯に一度しか演じなかった伝説のお役。シネマ歌舞伎「め組の喧嘩」公開中

中村勘三郎が映画館でよみがえる

現在公開中のシネマ歌舞伎「め組の喧嘩」。2012年、在りし日の中村勘三郎丈が魂を注いで創り上げた「平成中村座」が、スクリーンの中によみがえります。

公式動画

映画館に向かう前に、演目である「め組の喧嘩」(正式名「神明恵和合取組(かみのめぐみわごうのとりくみ)」)について、簡単にご紹介します。

この歌舞伎は、文化2年(1805)に芝神明宮(現・芝大神宮)境内で実際に起きた力士と火消しの喧嘩がネタとなっています。「火事と喧嘩は江戸の華」・・・現代のようにインターネットもなければテレビもない、国は外国との国交をほとんど閉ざして早200年。「なんか面白れえこと、ねえかなア・・・」と人々が渇望していた当時、庶民にとってはこの「め組の喧嘩」はうってつけの大ニュース。瞬く間に芝居や講談の人気ネタとなったのでした。

ちなみに、江戸の町火消は8代将軍吉宗の頃にできた制度です。20町を1組とし、隅田川から西をいろは組47組(のちに「本組(ん組)」が加わって48組)に分けました。め組はその中でも芝周辺を管轄したグループです。


画像:Wikipedia「いろは組とその纏」(落合芳幾)

あらすじ

さて北が吉原なら、南は品川宿の島崎楼で事は起こります。相撲取の四ツ車(中村橋之助丈)らが呑んでふざけているうちに、よろけて隣の部屋へ突っ込んでしまいました。その隣で呑んでいたのがめ組の火消し衆だったのです。

め組の火消し衆は怒り、鳶頭の辰五郎(中村勘三郎丈)を筆頭に、息巻いて相撲取の部屋に乗り込んで来ます。しかし「立派な士分の相撲取とたかが鳶では、身分が違う」と取り合ってもらえず、この騒動は無かったことに。血気盛んなめ組の若者たちを諌めつつ煙管をくわえ、静かに怒気を放つ辰五郎は、その場を上手く収めて引き下がります。

しかし辰五郎は引き下がるふりをして、実はこっそり意趣返しを考えていたのでした。

2ページ目 家族愛、粋でいなせな江戸情緒…「め組の喧嘩」の見どころ

 

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