「一度来てみたかったのだ」
初めて耕書堂を訪れた喜びで、キラキラの松平定信(井上裕貴)。こんな顔が見たかった……と思ったファンは多かったでしょう。
第47回『饅頭(まんじゅう)こわい』、SNSでは「定信がかわいすぎる」という声を数多く見かけました。
「我こそは正義」で突っ走り融通が効かず偉そうな定信。今までは憎まれっ子だったけれど、最後に黄表紙好きの素顔が全面に出て「かわいさ」が炸裂していました。
脚本の森下佳子さんがインタビュー記事で、「定信は矛盾の多い性格。そんな人間味あふれる部分が愛おしく、脚本に思いを込めた」と語っていたのが納得の、 “江戸カルチャー好きのオタク青年”な一面を見せてくれました。
前回の悲劇的な展開から、さまざまな「そう来たか」が散りばめられた今回。さすがは蔦屋重三郎(横浜流星)と感心した“上様を巻き込んだ最高の大きな戯け”となった替え玉作戦と、定信の後悔と惜別の言葉を中心に振り返って考察してみました。
能好きの傀儡師を瓜二つの能役者にすり替える大作戦
前回のラストで、蔦重が浄瑠璃小屋で出会ったのは、予想通り一橋治済(生田斗真)に瓜二つの、“阿波徳島藩主蜂須賀家お抱えの能役者・斎藤十郎兵衛(生田斗真)”でした。
以前、柴野栗山(嶋田久作)が初めて城で治済に出会ったときに、まじまじと顔を凝視し「何か?」と問われ「顔が…」と返していた場面がありましたね。
「顔か?顔はまぁ」とまんざらでもない様子の治済でしたが、あれは今回へのロングパス。栗山は、同じ藩の十郎兵衛を知っていたので瓜二つぶりに言葉を失っていた……という伏線でした。
実際、治済を事故などで殺すのはハードルが高いけれども、拉致して十郎兵衛とすり替えてしまうなら成功の可能性は大です。十郎兵衛の存在ありきで定信の敵討が決まったのでした。
斎藤十郎兵衛といえば、一般的に「写楽の正体」とされている人物です。けれども、「べらぼう」では、写楽は“チーム蔦重と歌麿が誕生させた架空の絵師プロジェクト”という展開で、十郎兵衛は“治済に瓜二つの男”として登場しました。
“写楽プロジェクト”の脚本に、「いやいや、写楽は史実では斎藤十郎兵衛だ」と批判する声もあります。けれど、「これが大河ドラマだ!」とばかりに、“史実が重要論”に対して挑戦的な「戯け」をみせてくれた森下氏の脚本のほうが、冴え渡っていたと思います。
なんといっても、このドラマは「〜蔦重栄華乃夢噺〜」ですから。
それにしても、能好きで人を操り悪事を働く傀儡師・一橋治済と、能役者・斎藤十郎兵衛の二人が生き写しで、治済を十郎兵衛とすり替えてしまう……とは、なんともべらぼうな脚本ですね。
