そもそも「植民地化」とは
幕末期の日本を描いたストーリーでは、幕末の志士たちが「鎖国を続けていたら日本は諸外国の植民地になる」と息巻くシーンが描かれることがあります。
また今でも、当時の日本は列強諸国によって植民地化されようとしていた、それを「開国」「明治維新」によって阻止したのだというストーリーで幕末期の歴史をイメージしている人が多いかも知れません。
しかし、実際にはそうではありませんでした。列強諸国は、当時の日本を「植民地化」しようとはしていなかったのです。今回はそれについて説明します。
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まず「植民地」という言葉の定義ですが、これは「民」を「植える」、つまり人々をその地に移住させる場所という意味です。
A国がB地域を植民地にする、と言ったらB地域にAの人々を移住させる地とする、ということを意味します。
さて、そうやって植民地化されたB地域とは、Aの人々によって「改造」されるのが常です。なぜならAの人々は、自分たちが暮らしていたA国と同じ生活水準を求めるからです。
そのため、道路や上下水道などのインフラを整備し、鉄道を通し、病院を建て、自分たちの食べる農作物を植えたりするわけです。
そのために、原住民から土地を奪ったり、原住民を安価な労働力として使用する場合もあります(それの良し悪しの話ではありません)。
すると今度は、そのために原住民を教育して識字率を高め、自分たちの言葉を教育するために学校を建てたりするのです。
