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行ってないのに詠んでみた!?”嘘の旅”で名歌を残した平安時代の歌人・能因法師の執念

行ってないのに詠んでみた!?”嘘の旅”で名歌を残した平安時代の歌人・能因法師の執念

日本の長い歴史のなかには、男女ともにさまざまな歌人がいますが、今回の記事では、「能因(のういん)」という人物について焦点をあててご紹介したいと思います。

僧侶であり、歌人でもあった彼は、中古三十六歌仙の一人にも数えられており、百人一首にも歌が収められています。彼の人生や和歌に迫ってみましょう。

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能因(のういん)の出生

能因は、平安時代中期に活躍した人物です。988年(永延2年)、長門守(ながとのかみ)橘元愷(たちばなのもとやす)の息子(俗名は永愷(ながやす))として誕生しました。

先祖には橘諸兄(たちばなのもろえ)がいます。肥後守であり、父の兄である橘為愷(たちばなのためやす)の養子となりました。

能因(のういん)が出家を決意するまで

平安時代には、役人を育成するための「大学」が京都にありました。永愷(のちの能因)も大学で学び、文章生(もんじょうしょう:詩文や歴史を学んで式部省の試験に合格した学生)となり、官吏になることを目指していました。

しかし、26または27歳のときに出家を決意。これには、養父が郎党(ろうとう:主家の一族や従者)によって殺害されたこと、恋人が亡くなったことなどが理由だとされています。幼い子もいたようですが、家族とは縁を斬ることを決意したのです。

2ページ目 歌へのこだわりのあまり、うそをついた?

 

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