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行ってないのに詠んでみた!?”嘘の旅”で名歌を残した平安時代の歌人・能因法師の執念

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歌へのこだわりのあまり、うそをついた?

出家当初は融因(ゆういん)と名乗っていましたが、後に能因と名を改めます。和歌に優れていた彼は、歌へのこだわりが強いあまり、周囲を驚かせる行動もしていたとか。

たとえば、『古今著聞集』によれば、

「都をば 霞とともに 立ちしかど 秋風ぞ吹く 白河の関」

(都を霞のかかる春に出発したが、もう秋風が吹いている、この白河の関では)

という歌は、実際には都で詠んだのですが、あたかも白河の関まで行って詠んだように見せるため、自ら「能因法師は奥州へ向かった」という噂を流し、家の庭で顔を黒く日焼けさせ、長旅から帰ったようなふりをして作品を発表したそうです。

なお、定住せず旅をしていたのは確かなようで、このスタイルは後の西行や松尾芭蕉らに影響を与えました。

能因の歌を味わおう

能因の歌は、『小倉百人一首』にも収められています(69番)。

「嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 龍田の川の 錦なりけり」

(吹きすさぶ嵐が三室の山の紅葉を散らす。落ちた葉の光景は、龍田川の水面で錦のように美しいものだなあ)

というもの。紅葉の名所を詠んだ歌で、華やかで豪華絢爛な様子が感じられますね。

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