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暴れん坊将軍の実像と虚像。八代将軍・徳川吉宗のリアリストとしての実態に迫る!

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復古と革新

吉宗は、幕政のスローガンに「諸事権現様(徳川家康)お定めの通り」と掲げました。家康が好んだ鷹狩を将軍の権威の確立のため復活させるなど、復古主義的な面がみられます。

その一方で吉宗には、近代政治のパイオニアとしての側面もあります。彼は国家権力をもって合理化した政治を行いました。

その代表例が享保の改革で、彼は全国的な人口統計調査や官僚機構・法制度の整備を通じ、幕府が積極的に経済活動に関与する「大きな政府」を実現しています。

また、社会的弱者の救済にも力を入れています。目安箱を置いて庶民の直接の訴えを聞きつつ、貧民の救済施設である小石川養生所を作ったのも彼の業績です。

その背景には、紀州藩時代の経験がありました。

1707年、マグニチュード8.6とされる「宝永地震」が起き、紀州藩の沿岸部を津波が襲ったのです。

この時の死者は700人近くに上り、当時紀州藩主だった吉宗は藩の復興の陣頭指揮を執り、天災の被災者「弱人」を慈しんで救済していました。

5年後には「岡山の時鐘堂」(和歌山市)を設置しており、出火などの非常事態を知らせる防災行政無線の役割を果たしたとみられています。

そんなこともあって、将軍になってからも江戸市中に町火消を作っており、危機管理の先駆けと言えるでしょう。

テレビドラマ『暴れん坊将軍』でみられるような、市井の声に耳を傾ける姿勢も紀州藩時代にその萌芽があったということです。

吉宗のリアリストとしての姿は、紀州の自然と社会によって培われたのです。

参考資料:中央公論新社『歴史と人物20-再発見!日本史最新研究が明かす「意外な真実」』宝島社(2024/10/7)
画像:photoAC,Wikipedia

 

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