京都のど真ん中になぜ「丑の刻参り」ゆかりの神社が!?悪縁が切れる、そのわけとは…
丑三つ時に五寸釘…このイメージってどこからきたの?
夏の代名詞、「怪談」。
中でも相手を呪い殺すために、丑三つ時に五寸釘を打つ鬼と化した女性…という「丑の刻参り」は恐ろしいイメージの定番ですね。
俗に「丑の刻参り(うしのこくまいり)」といって、丑の刻(午前1時から午前3時ごろ)に神社の御神木に憎い相手に見立てた藁人形を釘で打ちつけるという呪いの一種です。
この確立した呪いのスタイルは一体どこからきたのでしょうか。
世阿弥の能の「鉄輪(鐵輪)」(かなわ)と呼ばれる演目が原型とされています。
古来から恐れられる呪術「丑の刻参り」そもそもは良縁・心願成就が始まりだった【前編】
安倍晴明も登場、そのあらすじは?
ある夜、(京都の)貴船神社の社人の夢中でお告げがありました。それは丑の刻にお参りをしにくる女性に信託を伝えるというもの。
そのお告げ通り都風の女がやってきたので社人が理由を聞くと、「自分を捨てて不倫をした旦那に罰を受けさせるために、遠いところから幾晩も参っていた」と告げました。社人はお告げ通り、女に「三つの脚に火をともした五徳(鉄輪)を頭にのせて、赤い顔料を顔に塗り、怒りの心をもつならば、望み通りに鬼となるだろう」と告げた。すると、女は話を聞くうち容姿が変わっていき、髪が逆だち雷鳴が轟くと、「恨みを晴らしてやる」と述べて去って行きました。さて女の夫は毎晩の悪夢に悩まされ、陰陽師の安倍晴明に助けを乞うた。安倍晴明は、男と新婦の命は今夜で終わると見立て、男の家に祈祷棚を設けて身代わりを載せて祈祷を始めました。そこに火をともした五徳(鉄輪)を戴いた鬼女が現れ、身代わりの式神に襲い掛かるも、退治することはできず、鬼は「時機を待つ」と言って消えていった。
というもの。あくまで怨念が消えることは無いのですね。ちなみにこの能にも原型があり、平家物語『剣巻』を元にした作品なのです。女性の怨念は潰えることはない・・・この永遠に続く恐ろしさが、語り継がれてきた要因なのでしょう。
ちなみに五寸釘と藁人形は「鉄輪」にも「剣巻」にも登場しません。頭に鉄輪をはめて蝋燭に火をつけるのは、その形から鬼に見立てているということでしょう。