日本史用語、特に刑罰の言葉としてインパクトたっぷりなのが「島流し」ではないでしょうか。「罪を犯した人が遠い島に流される刑でしょ?」とイメージする方が多いと思いますが、いつごろから島流しがあったか、ご存じですか?
今回の記事では、そんな日本における島流しの歴史に迫ってみたいと思います。
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島流しは「流罪」のひとつ
島流しというのは、「流罪(るざい)」という刑罰の一種です。罪を犯した人を辺境や島に送る追放刑で、送られる先が島の場合に「島流し」と言います。
流罪は、ほかにも流刑(るけい)や配流(はいる)などと呼ばれることがあります。日本では、1908年(明治41年)に廃止されるまで、古くから続きました。
日本で最初の島流しは5世紀に
日本で記録として最初に残っている島流しは、5世紀ごろのことです。第19代天皇の允恭(いんぎょう)帝の時代に、皇太子の木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)と妹の軽大娘皇女(かるのおおいらつめ)が兄弟で情を通じていることがわかり、2人は伊予国(現在の愛媛県)に流されました。