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「安政の大獄」のイメージは誤解!”暴走キャラ”扱いされた大老・井伊直弼の実像

「安政の大獄」のイメージは誤解!”暴走キャラ”扱いされた大老・井伊直弼の実像

文化人・家庭人としての井伊直弼

NHK大河ドラマの一番最初の主人公は、誰かご存じでしょうか。徳川家康? 坂本龍馬? 実は「井伊直弼(いい・なおすけ)」です。

日本史の中では「安政の大獄を行い、吉田松陰を死に追いやった」「最後は暗殺された」という点ばかりがクローズアップされがちですが、実際にはどんな人だったのでしょうか。

1815年に誕生した直弼は、後に彦根藩主となります。が、井伊家の14番目の男子ということで、本来なら藩主にはなりえない立場でした。

そんなポジションだったこともあってか、直弼が17歳のときに父、彦根藩主だった父・井伊直中(なおなか)が亡くなると、彦根城内ではなく中堀と外堀の間にある埋木舎(うもれぎのや)という場所に移り住まわされることになります。

埋木舎の場所を見ても、「格の違い」があったことが分かります。

とはいえ別に冷遇されていたわけではありません。直弼は禅、居合、兵学、茶道などの教養を積み、さまざまな分野で経験値を積んでいきます。特に茶道については卓越したセンスを備えており、『茶湯一会集』は代表作として知られています。

また、直弼は多忙な身になっても茶会だけは家族と過ごしました。5歳で母を亡くした経歴があるので、家族を大切にしようという気持ちが強かったのかのかもしれません。

やがて、井伊家の男子が次々に早逝するなどし、彦根藩主を経て幕府の大老の地位に昇り詰めます。

2ページ目 慎重な性格の井伊直弼

 

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