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3人の子どもを刺し自害。あの豊臣秀吉をも苦しめた戦国最強の女性・別所波の生涯

3人の子どもを刺し自害。あの豊臣秀吉をも苦しめた戦国最強の女性・別所波の生涯

いつの時代も女性は強いもの……確かにそうなのですが、昔の話となると、なかなか女性の活躍が書物に残っていないのもまた事実。

そんななか、戦国時代に、あの豊臣秀吉をも苦しめた最強の女性がいました。

その名も、別所波(べっしょ・なみ)。今回の記事では、そんな彼女について詳しくご紹介したいと思います。

別所波(べっしょ・なみ)とは?

別所吉親(別所長治の叔父)の妻であった別所波は、畠山昭高(はたけやま あきたか)の娘として生まれました。残念ながら生まれた年ははっきりと明らかになっていません。

畠山昭高は、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した人物で、河内国半国及び紀伊国守護であったことがわかっていますが、別所氏との関係ははっきりとわかっていません。

また、波が別所吉親と結婚した時期なども定かにはなっておらず、詳しい人物像がわかっていない女性です。

別所波が生きた当時の状況

時は、織田信長が天下統一を目指そうとするまさにその途中。中国地方を攻める際に、臣下の秀吉に攻略を命じます。

そんな秀吉に従い力を尽くしたのが、三木城(現在の兵庫県三木市)の城主であった別所長治でした。しかし、別所長治は翌年、中国地方の覇者である毛利氏に寝返ります。

秀吉と長治の対立構造がはっきりすると、三木合戦が始まりました。

2ページ目 別所波が活躍した三木合戦、そして波の最期

 

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