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残忍で勇猛!戦国時代の武将・宇喜多直家の戦歴と荒々しすぎる所業がすさまじい

残忍で勇猛!戦国時代の武将・宇喜多直家の戦歴と荒々しすぎる所業がすさまじい

その華々しい「経歴」

皆さんは「梟雄(きょうゆう)」という言葉をご存じでしょうか。辞書で引くと「残忍で勇猛」「荒々しくて強い」「悪者の首領」などと書かれており、私などはこれを見ると三国志の呂布奉先を真っ先に思い出します。

では、日本史で「梟雄」の名にふさわしいのは誰だろう? と考えた時、真っ先に思い浮かぶのがこの宇喜多直家(うきた・なおいえ)です。

斎藤道三や松永久秀と並び、「日本三大梟雄」に数えられる、暴れ牛のような武将です。

戦国時代だったからよかったものの(よくないのですが)、この人の経歴を書こうとすると「何年に誰それを追い詰めて殺した」とか「誰それを暗殺した」とか、そんな話ばかりになってしまうのです。

下手に生い立ちとか経歴を書くよりも、彼の手になる被害者とその手口を箇条書きにした方が早いんじゃないか、とすら思います。

しかもカッとなって相手を死に至らしめたとかではなく、謀殺、つまり計画殺人がほとんどなので猶更たちが悪い。今回はそんな宇喜多直家の人物像……というかその所業を追ってみたいと思います。

直家が生まれたのは1529年。場所は備前国邑久郡豊原荘(現・岡山県邑久郡邑久町)の砥石城です。しかし1534年に、祖父の宇喜多能家(よしいえ)が隣地の高取山城主・島村貫阿弥に攻められ自害すると、父の興家とともに城を脱出して放浪生活を送ることになります。

父の興家も、逃げのびて備前福岡の豪商・阿部善定に庇護されたものの、その後1536年かあるいは1540年に病死・あるいは自害とされる死を遂げています。しかもそれまでは牛飼いのような生活をしていたとか。直家という人物は、幼少から十代の頃にかけてこのような境遇にあったのでした。

2ページ目 たくさん殺して大活躍!?

 

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