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「忠義」はあくまで主君のために…武士道バイブル『葉隠』が教える忠義と奉公の心構え

「忠義」はあくまで主君のために…武士道バイブル『葉隠』が教える忠義と奉公の心構え

人間、気が利くのはよいことですが、古来「過ぎたるは猶及ばざるが如し」とも言う通り、時にはそんな頭の良さが鼻についてしまうこともしばしば。

今回は江戸時代の武士道バイブル『葉隠(はがくれ。葉隠聞書)』より、とある小姓のエピソードを紹介したいと思います。

「畏れながら……」志波喜左衛門の機転

時は初代佐賀藩主・鍋島勝茂(なべしま かつしげ)公のころ。その身辺に仕える小姓の一人に、志波喜左衛門(しわ きざゑもん)という者がおりました。

ある日、勝茂公が爪を切っており、それがすっかり終わると喜左衛門に爪のカスを渡し、「これを捨てよ」と命じます。

「ははあ」

爪カスとは言え、主君から承ったものなれば、うやうやしく両手に受けた喜左衛門ですが、受けたっきりその場を動きません。

「ん?いかがした。早う捨てて参れ」

いぶかしがった勝茂公に、喜左衛門は答えました。

「畏れながら、御爪が一つ足りのう存じまする」

喜左衛門の両手を見ると、勝茂公の渡した爪カスは19。手足の指は20本、すべての指の爪を切ったのですから、20なければ計算が合いません。

(きっと勝茂公はいつも爪をひと指ごとに一発で切り、後はヤスリをかける習慣があったのでしょう)

「ふむ……おぉ、ここにあったぞ。これで揃ったか」

勝茂は喜左衛門の利発さを試すべく、実は一つ爪を隠しておいたのですが、さも今見つけたふりをして、喜左衛門に手渡します。

「ははあ、軽輩の身で差し出がましいことを申しました。しからば直ちに捨てて参りまする」

こうして喜左衛門は爪を捨ててきたのでした……。

2ページ目 忠義はあくまで主君のために

 

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