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武士の誠を見届けよ!幕末「神戸事件」の責任を一人で背負い切腹した滝善三郎のエピソード【上】

武士の誠を見届けよ!幕末「神戸事件」の責任を一人で背負い切腹した滝善三郎のエピソード【上】

外国の方に、日本から連想されるものを尋ねると、少なからず答えが返ってくる「HARAKIRI」こと切腹(せっぷく)

ただ自殺するのであれば首を吊るなり、こめかみを銃で撃ち抜くなりすれば手っ取り早いのに、何故わざわざ自分で腹を切り裂いて何時間ももだえ苦しむのか、理解に苦しむ方も少なくありません。

実際には介錯人が首を落としてくれるため、そこまで苦しみ続ける例はまれですが、それでも自分の腹に白刃を突き立てるなど、並大抵の覚悟では出来ないものです。

現代の私たちがそうであるように、当時の武士たちもやはりそうであったようで、戦国乱世も遠く過ぎ去った江戸時代、徳川の世が下るにつれて「やっぱり切腹なんて怖いよね」と思ったのか、切腹の作法も次第に簡略化されていきました。

もちろん死刑なので最終的に死なねばならないことだけは流石に簡略化できませんが、せめて少しでも痛くないよう、短刀を腹に当てた瞬間に介錯人が首を落とすとか、中には「短刀も怖いから、扇子(※)でいい?」という事例もあったと言います。

(※)扇子は「短刀を持たせると切腹どころか、こちらに斬りかかって来かねない」危険人物の場合にも用いられました。

しかし、それでは死をもって我が赤誠(せきせい。真っ赤な誠意、ここでは血みどろの内臓)を示せぬではないか!という古風な武士も少なからずおり、彼らの美学が外国人たちにトラウマを植えつけることになるのです。

今回は幕末、「神戸事件」の責任を一身に引き受け、古式ゆかしく見事な切腹を仕遂げた滝善三郎(たき ぜんざぶろう)のエピソードを紹介したいと思います。

2ページ目 文武両道の秀才、仕事も家庭も順調だったが……

 

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