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坂本龍馬を捕殺? 江戸幕府と共に崩壊した京都の治安維持部隊「京都見廻組」【後編】

坂本龍馬を捕殺? 江戸幕府と共に崩壊した京都の治安維持部隊「京都見廻組」【後編】

隊士たちのその後

京都見廻組の中心人物であった佐々木只三郎は、旧幕府軍として参戦した鳥羽伏見の戦いにおいて被弾し、重傷を負って戦線を離れる。敗走中の和歌山の地で没した。享年36。

今井信郎は鳥羽伏見の戦いの後、旧幕府軍の歩兵を集めて新たに結成された組織である衝鋒隊(しょうほうたい)の副隊長に就任。函館まで転戦し降伏した。

その後は、身柄を拘束されるも1872年に釈放。西郷隆盛との人脈を通じ、新政府に一矢報いようと鹿児島へ向かうも、西郷の戦死を受けて頓挫する。

晩年は武士を引退。キリスト教に帰依し静岡県の初倉村の村長として尽力した。

1918年死去。享年78。今井が生前に語った坂本龍馬殺害(近江屋事件)の真相は、現在最も信憑性の高い定説となっている。

 

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