日本人は宮崎駿に対して借りがある。『ルパン三世 カリオストロの城』リマスター再上映

独虚坊

日本人は、宮崎駿に対して、借りがある。時々、そんなわけのわからないことを考えたりします。

巨大な才能を持ち、かつ人を楽しませる映画を作るために努力を惜しまない人、宮崎駿。その素晴らしい作品に対し、私たちもまた大喜びで金を払い、惜しみない賞賛を贈ってきました。何の貸し借りも、ないじゃないか。それは確かに、そうです。

しかし、少なくとも宮崎駿の監督デビュー作『ルパン三世 カリオストロの城』の頃は、そうではありませんでした。いや、私はリアルタイムのことは知りませんし、いわゆる濃い人でもないので詳しいことは知りませんが、一般的に言ってこのデビュー作は、不入りでした。宮崎駿は、次作『ナウシカ』までの5年間、映画監督を干されることになります。

『風立ちぬ』には「創造的な人生の持ち時間は、10年だ」という台詞が出てきました。当然ながら「宮崎駿にとっての10年はいつか」という話題も出たわけですが、私はその10年は、『カリ城』及びその後の「空白の5年」を挟んだ期間だと思ってます。『カリ城』の直前の『未来少年コナン』、直後のルパンTV2作と『名探偵ホームズ』。いずれも、神がかった出来です。後生の人間からしたら、何故こんな凄いものを作った人が冷や飯を食わされてたのか、理解できません。もし「空白の5年」に、『ナウシカ』『ラピュタ』『トトロ』『魔女宅』のような勢いで作品が作られていたら、どうなっていたか。そんな無意味な妄想を、止めることができないのです。

時代状況や社会状況を正確に読み取り、最低限の稼ぎを上げる映画を作らなかった、当時の宮崎駿が悪い。それも確かに、そうでしょう。また、「空白の5年」があったからこそ、以後のジブリの躍進があったのも、間違いないでしょう。ただ、そんな正気の考えを妨げるほどに、『カリ城』及び同時期の宮崎駿の作品は、異常な魅力に満ちてます。こんな凄い監督に冷や飯を食わせたことで、私たち日本人は何かとんでもなく大きなものを失ったのではないか、と。私たち日本人は、宮崎駿に対して、今なお、借りがあるんじゃないか、と。

そんな妙な贖罪意識を刺激する『ルパン三世 カリオストロの城』が、何とこのたびリマスターされ、再上映されることになりました。同じ贖罪意識を持つ方がどれくらいいらっしゃるかは不明ですが、改めて劇場で、作品の凄まじさと失われた何かについて妄想をめぐらせるいのもいいんじゃないでしょうか。

『ルパン三世 カリオストロの城』デジタルリマスター版は、2014年5月9日より上映。

映画『ルパン3世 カリオストロの城』デジタルリマスター版 – 公式サイト

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