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歌舞伎の演目にもなった、江戸時代に起きた三大お家騒動のひとつ「伊達騒動」を紹介

歌舞伎の演目にもなった、江戸時代に起きた三大お家騒動のひとつ「伊達騒動」を紹介

みなさんは、「お家騒動」と聞いてどんなイメージを持ちますか?家督争いや、企業の主導権争いなど、ドロドロした印象があるのではないでしょうか。

そんなお家騒動があったのは、現代だけでなく、江戸時代も同じ。むしろ、江戸時代には多数のお家騒動が起きたといいます。

今回は、そのなかでも有名な、仙台の「伊達騒動」をご紹介します!

伊達騒動とは?

伊達騒動(正式には寛文事件と呼ばれる)とは、江戸時代前期に伊達氏仙台藩で起こったお家騒動です。

寛文11年(1671年)、仙台藩重臣の原田甲斐(はらだかい)が、おなじく仙台藩の伊達安芸(だてあき)を酒井雅樂頭(さかいうたのかみ)邸で斬殺した事件です。安芸暗殺後、原田甲斐を阻止しようとした柴田外記(しばたげき)・蜂屋可広(はちやよしひろ)が抜刀。酒井家家臣が原田・柴田・蜂屋を斬り、計4名が亡くなった事件です。

山本周五郎『樅ノ木は残った』(小説・およびそれをもとにした大河ドラマ) や、「伽羅先代萩」(めいぼくせんだいはぎ)という歌舞伎の演目にもなっています。

伊達騒動のきっかけは?

伊達騒動が起きたきっかけは、事件の11年前、万治3年(1660年)に伊達家三代目藩主・伊達綱宗(だてつなむね)が21歳の若さで放蕩三昧・不行跡を理由に幕府に隠居を命じられたことにさかのぼります。

その後藩主となった亀千代の後見人として、伊達兵部宗勝(政宗の十男)と田村右京宗良(政宗の孫)が指名されました。後見人となった伊達兵部は、藩権力の集権化をすすめ、それに反対する伊達安芸らと対立することになります。

伊達安芸はこの問題を土地争いと絡めて幕府に上訴し、酒井邸で伊達家関係者への尋問が行われることになりました。その場で、上記の騒動が起こりました。

2ページ目 原田甲斐は悪人ではない?

 

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