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英雄色を好む。多くの側室を持ち何かと逸話の多い戦国武将・豊臣秀吉の性生活

英雄色を好む。多くの側室を持ち何かと逸話の多い戦国武将・豊臣秀吉の性生活

みなさんは、「英雄色を好む」という表現を聞いたことがありますか?これは、英雄は何事にも精力旺盛であるから、女色も好む傾向も強い、という意味のことわざです。

日本史上で、この表現がもっとも似合う人物が、「豊臣秀吉(とよとみひでよし)」と言われています。この記事では、そんな秀吉の性生活に迫ってみたいと思います!

秀吉の側室たち

自分の子孫を残すことがとても重要だった戦国時代、多くの武将たちは側室を持っていました。明智光秀や直江兼続のように、側室を持たなかった武将や、上杉謙信のように独身を貫き通した武将もいます。しかし、それはむしろ変わったものと見られていました。

豊臣秀吉は、正室のねね(高台院・北政所)のほかに、多くの側室を持ったことで知られており、その数なんと13~16人ほどいたといわれています。しかし、必ずしも子宝に恵まれたというわけではなかったようで、実子は4人だけといわれています。

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秀吉は“きれいな人”が好きだった。

秀吉は、“きれいな人”を好んだといいます。ここでの“きれいな人”とは「高貴な人、身分の高い人」を指します。自分より身分の低い女性を好んだといわれている徳川家康とは対照的です。

なぜ秀吉が高貴な人を好んで側室にしたかというのは、秀吉自身が低い身分出身であったからといわれています。身分の高い女性に自身の子を産んでほしいと考えたのではないでしょうか。

精力回復に秀吉が食べたもの

側室がたくさんいた秀吉ですが、晩年には精力回復にも熱心だったようで、特に食べものに興味を持ったといわれています。当時、精力剤として珍重されていた虎の肉を加藤清正や島津義弘に命じて朝鮮から送らせたという話も残っています。

また、珍しい鶴や白鳥の肉も精力をつけるために食べていたそうです。

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いかがでしたか?織田信長、徳川家康と並んで戦国時代を代表する武将である豊臣秀吉の、政策以外の興味深い面がおわかりいただけたのではないでしょうか。

この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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