歴史上稀有な長州の天才・吉田松陰の功績と心に突き刺さる名言【後編】
前編では、わずか29歳でこの世を去った吉田松陰の人物像、そしてどのような人生を歩んだのかについて解説しています。
ここからは、吉田松陰の功績と残した名言について紹介いたします。
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歴史上稀有な長州の天才・吉田松陰の功績と心に突き刺さる名言【前編】
吉田松陰の功績
吉田松陰が24歳の時、浦賀でペリーの船に無断乗船して、長州の野山獄に幽囚されました。その翌年に出獄を許されましたが、杉家(実家)に幽閉となります。
そこで叔父がやっていた「松下村塾」を継いで開塾。吉田松陰25歳の時です。この「松下村塾」での教えが、吉田松陰の一番の功績と言われています。
塾は身分の分け隔てなどなく誰でも受け入れていました。塾生名簿は存在しませんが、50名ほど在籍していました。教えを受けた人は延べ90名ほどいたそうです。
しかし、実際に吉田松陰が教えていた期間は、安政の大獄で捕縛されるまでのわずか2年弱でした。
松下村塾での教え
松陰の教えは、兵法・孟子の教え・論理学・地理学・史学・経済学など広範囲に及んでいました。塾の講義スタイルは、生徒の自主性を一番に重んじるという当時としては画期的な討論形式のスタイルでした。
松陰はサポートにまわり、生徒同士の討論の中で知識を磨かせる方法です。また生徒の長所をのばすとともに、短所をうまく生かしていたと言われています。教えの中で松陰が常に生徒に言っていたのは、「行動することの大切さ」です。
「学者みたいな人間にはなるな」という教えがあったからこそ、生徒たちは、日本を変えるために奔走できたのでしょう。
主な門下生
塾の門下生としては、幕末から明治維新で活躍した志士・政治家・実業家を多く輩出しています。
幕末に討幕の旗頭となって散った久坂玄瑞、吉田稔麿、入江九一、寺島忠三郎、騎兵隊を組織し藩論を討幕にまとめあげ幕府軍を打ち破った高杉晋作、幕末を生き延び活躍した伊藤博文、山縣有朋、品川弥二郎、山田顕義、野村靖、松本鼎、岡部富太郎、正木退蔵、前原一誠などが門下生にいました。
松陰の教えが門下生の活躍のきっかけになったのは間違いないでしょう。また門下生ではありませんが、桂小五郎も明倫館で兵学の教えを受けています。
高杉の名言「戦いは一日早ければ一日の利益がある。まずは飛び出すことだ。思案はそれからでいい」は、まさに松陰の教えそのものです。