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不仲夫婦? 10年間の別居婚生活を経験した徳川慶喜と一条美賀子の夫婦生活【後編】

不仲夫婦? 10年間の別居婚生活を経験した徳川慶喜と一条美賀子の夫婦生活【後編】

再会から晩年の2人

1869年9月。戊辰戦争の終結と共に慶喜の謹慎が解除。美賀子は慶喜のいる静岡へ向かい10年ぶりの再会・同居が叶う

慶喜は複数の側室との間に21人の子を設けた。生来病弱とされる美賀子の実子は早世した女児のみで、その後に子はできなかった。21名の子たちはすべて美賀子を実母とし、美賀子によって養育された。

新婚当時、塞ぎ込みがちであった美賀子だが、晩年の慶喜との関係性は以前に比べて良好であったとされる。1894年。乳がんにより死去。享年60。

慶喜は美賀子の死から3年後の1897年に東京の巣鴨に転居。その後は貴族院議員として政界に復帰した。1913年死去。享年77。

夫婦は台東区にある谷中霊園内の墓地に眠っている。

 

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