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門限を破り27年間の幽閉および関係者1500人が処罰。江戸時代に起きた「江島生島事件」【後編】

門限を破り27年間の幽閉および関係者1500人が処罰。江戸時代に起きた「江島生島事件」【後編】

陰謀説

江島生島事件に関しては様々な陰謀説がある。当時の大奥の門限は一般的に16時とされていたが、将軍や御台所、側室の名代としての外出は18時が門限とされており、江島自身は門限を破っていなかった可能性がある。(お付きの女中が門限を過ぎていた事を理由に咎められた)

江島への嫌疑は強引という見方もあり、江島や月光院勢力に対して反感を持っていた幕府上層部や、家宣の正室・天英院勢力による陰謀説も囁かれているが証拠はない。

その後

江島は1723年に赦免が認められ、以降は屋敷の周辺地域における外出は認められたという。1741年に死亡。享年61。大奥での出来事は生涯口にしなかったという。

生島は1742年に赦免され、江戸へ帰還。翌年73歳で没した。

大奥と歌舞伎の世界で栄華を極めた2人だったが、たった一度の不祥事で人生を大きく歪められた末の最後だった。

 

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